今回は「先帝と皇太后の関係」「皇太后の出産と年齢」「先帝の描いた女性」についてお話しします。
二人の話は下記の書籍で読めます。
- 文庫本3巻
- スクエニ版11巻
- サンデー版11巻
今回の記事は上記の話を前提とした話です。
「壬氏」「翆玲」の出自にも触れています。
ネタバレが大丈夫の方のみお読みください。
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先帝とは
先帝は「現在の皇帝の父親」で生前は「女帝の傀儡」「幼女趣味」と言われていました。
政治の才覚もなく、気弱な性格で「皇帝」の器からは程遠い人物でした。
先帝が皇帝になったのは「異母兄弟たちが流行り病で亡くなった」ためです。
先帝は唯一生き残り、たった一人の「皇族男子」となりました。
先帝の母親・当時の皇太后は「自分の息子は皇帝の器ではない」と思い、代わりに自分が政治を行い「女帝」と呼ばれます。
そのため先帝は「女帝の傀儡」と言われるようになりました。
女帝について
元は下級妃でしたが「美しく知性があった」ため皇帝に見初められて妃になり、先帝を産んで皇太后にまで成り上がった女性です。
女帝に関しては謎が多く、下級妃の出身でありながら「政治的手腕があった」と言われています。
家系図
「里樹」は9歳の時に先帝に嫁ぎましたが、お手付きにはならず、崩御した際に出家しました。
その頃の先帝は自室に籠りがちだったので里樹と面会する機会もなかったのでしょう。
「里樹」の件でもわかるように、野心の強い官僚たちは「幼い娘を後宮」に送り「先帝に嫁がせられないか」を考えていました。
先帝の幼女趣味
先帝は「母親の存在が怖くもあり、彼女がいないと生きていけない」という矛盾を抱えていました。
先帝の「幼女趣味」ですが、原作者の日向夏先生がこのようにツイートされています。
現在の皇帝の初めての夜伽が13歳でした。
恐らく先帝もそのぐらいの年齢で夜伽をさせられたのでしょう。
唯一の「皇族男子」だったため「早く男児を産め」という圧力があったと思います。
先帝が幼女趣味になったのは「望まぬ夜伽」を虐げられた後天的なものではないでしょうか。
先帝と皇太后の出会い
現在の皇太后・杏氏は10歳で後宮に入内します。
表向きは本妻の娘「異母姉の侍女」として後宮入りしましたが、杏氏は父親から「先帝は幼い娘が好み」だと聞かされていました。
10歳の杏氏は「父親が自分に何を求めているのか」わかった上で入内します。
安氏の父親もとい実家は、幼い娘を先帝に差し出すほど野心家です。
そして、杏氏は妾の子です。
「妾の子」ということで「本妻の姉」と差別されることもあったのでしょう。
10歳の安氏が先帝を見て
「自分ならこの男の懐に入り込める」と思えたのは「野心」以外の何物でもありません。
安氏の生い立ちについて深く掘り下げられていませんが「妾の子」だからこそ、野心を持った少女に育ったのかもしれませんね。
先帝は壬氏にそっくりな「美しい容姿」をしていましたが、杏氏は先帝の「容姿」に惹かれた描写はありません。
「子を孕んで成り上がる」
ことしか考えていなかったのでしょう。
<二人が出会った年齢>
安氏…10歳
先帝…30歳ぐらい
先帝が亡くなったのが60歳で、本作は先帝が亡くなった5年後が舞台です。
本作のスタート時、主上は34歳でした。
なので29歳で即位したのではないかと。
そのため安氏と初めて会った時の先帝は30歳ぐらいでは?
本作は「60歳まで生きれば長生き」と言われていた時代です。
ちなみに女帝は80歳まで生きました。
唯一の「皇族男子」でありながら、30歳になっても「子が出来ない」ことは宮廷で大きな問題だったことでしょう。
安氏の前に「大宝」という幼い女官が先帝の子を出産しましたが「医官との不義の子」と言われ、赤子と医官は後宮から追放され、大宝は後宮に残されました。
先帝が「記憶にない」と言ったのと女帝が「認めない」と言ったためです。
その件については後ほど考察を述べます。
安氏の似顔絵
安氏は先帝のお手付きになります。
出産するまでは二人の間に穏やかな時間があったようです。
先帝は「内緒」だと言い、杏氏の似顔絵を描きました。
安氏はその絵を15年以上大切に持っていました。
安氏の「野心」から始まった関係ですが、気弱だけど穏やかな性格の先帝に惹かれたのかもしれません。
ちなみに安氏の侍女は水連です。
水連がいち早く、先帝の子を妊娠している安氏を見つけて彼女を命がけで守りました。
妊娠した安氏は何度も命を狙われたそうです。
出産後は主上の乳母になり、主上と阿多を乳姉弟として育てます。
安氏の出産年齢と帝王切開
先帝と出会ってすぐに妊娠したなら、出産は10歳か11歳ではないでしょうか。
作中のキャラの年齢は「数え年」で表記されているので「10歳」なら現代だと「9歳」になります。
原作小説でも出産年齢は明確に記載されていません。
幼い安氏は普通分娩が難しく、羅門が帝王切開をして産ませました。
当時は「痛みを完全に麻痺させる麻酔」はありません。
生きたまま腹を裂いて子を産むという、命がけの出産です。
皇族が外科手術を受けて命を落とした場合、医官は処刑されます。
しかし、女官の命は軽いです。
「安氏が亡くなっても子が無事に生まれればいい」
子が存命であれば、医官は処罰を受けなかったと思います。
当時「帝王切開」できる医官は少なかったと思います。
羅門が「解剖した女性の子宮に赤子がいた経験」があり、帝王切開できました。
復讐と呪い
安氏が大人になるにつれて先帝との距離が開いていきます。
後宮は拡大し、幼い娘が次々と入内しました。
後に判明しますが、後宮を大きくしたのは「奴隷交易」の対策となる公共事業でした。
そんなことを知らない安氏は「自分と同じ宿命を背負った娘たちが来た」としか思いません。
ある日、杏氏は先帝を見かけて近寄りますが、先帝は安氏を通り過ぎて幼い娘のもとへ行きます。
それに嫉妬した安氏は復讐を決意。
先帝の寝所を訪れると、帝王切開の傷跡を見せて無理やり夜伽を行い、呪詛のように「先帝の手にかかった娘たちの苦しみ」を吐き続けました。
「女帝」よりも「他の娘たち」よりも「忘れられない女になる」その一心でした。
安氏は「先帝が描いた絵」を15年間大切にしていましたが、それを捨てるように水連に言います(水連は保管していましたが)
先帝が自分を通り過ぎて、幼い娘のもとに行ったことに激怒したのは「野心で近づいた」と言いながらも「愛していたから」なのではないしょうか。
憶測ですが、先帝は安氏を無視して幼女のもとへ行ったのではなく「大人になった杏氏」に気づかなかったのではないでしょうか。
心が病んでいたこともあり、視野が狭くなっていたのでは。
予想外の妊娠
復讐の夜伽は予想外にも「妊娠」しました。
当時の安氏は20代後半のため周囲は「不義の子」ではないかと噂します。
無事に子どもが生まれましたが、杏氏は心から子どもを愛することができませんでした。
同時期に出産した阿多も出産に複雑な想いがあり、二人は「子を取り替えたい」ことに気が付き、実行します。
子どもを交換しましたが阿多が引き取った子は「蜂蜜」が原因で亡くなります。
一方、壬氏は幼いころから「自分は不義の子」「正当な皇族の血を引いていないかもしれない」と思い悩んでいました。
そのため「正当な皇族の血を引いた東宮を誕生」させるため、宦官のふりをして「後宮の管理人」になります。
子どもを交換しなければ、壬氏は正当な「東宮」なのですが「皇弟」の位置にいます。
とはいえ、子どもを交換したからこそ「本来の東宮」である壬氏が存命しています。
先帝と壬氏
壬氏は安氏の子どもとして育てられました。
そんな中、一度だけ先帝が壬氏のもとに来ます。
先帝は震える手で「何か」を壬氏に渡そうとしましたが、杏氏が間に入り先帝を睨みつけました。
すると女帝が現れ、先帝を連れ去ります。
壬氏は床に落ちている「黄色い石」見つけてこっそり持ち帰ります。
それが「雄黄」でした。
猫猫が事件を解いた後、壬氏は安氏に「その時」の話をします。
あのとき
あのかたは何を
伝えたかったのでしょうか?
ヒーロー文庫3巻
「もう知ることはできない。
知ろうとしないことを選んだ」
と安氏は言います。
考察
先帝は自分の子供を見たかったのではないでしょうか。
杏氏は「黄色い衣」をよく着ていたため、彼女を彷彿とする黄色い石「雄黄」を息子に贈りたかったのでは。
絵の女性は誰だったのか
猫猫は「女帝」だと思いましたが、壬氏は「安氏」だと思いました。
「安氏」に育てられた壬氏だからこそ「そのように見えた」のではないでしょう。
先帝の安氏への想い
考察
ここからは憶測で語ります。
先帝は安氏を愛していたのではないでしょうか。
安氏は野心を持って近づきましたが、先帝にとっては「手を差し伸べてくれた天女」のような存在だったと思います。
「絵を描く趣味」を隠していた先帝ですが、杏氏には「秘密」だと言って絵を描いて贈ります。
第二子が生まれてからは、子どもの顔を見に行こうと「雄黄」を持って会いに行っていますし、杏氏にも子どもにも興味があったように思えます。
「安氏なら大人になっても上手く付き合えるはず」
そう思えたけど、トラウマにより上手くいかなかったのでは。
「絵の女性」ですが、中央にいる大人の女性は「安氏」ではないでしょうか。
安氏が大人になるにつれて接し方がわからず、杏氏の気づかないところで遠くから安氏をずっと見ていたのかもしれません。
壁に描かれた女性の表情は優しいものでした。
「畏怖」の対象である女帝ではなく「天女」のような安氏を描いたのだと思います。
安氏は女帝が存命していた頃に、後宮で「先帝のお手付きになって出れなくなった者たち」を集めた診療所を秘密裏に作っています。
そういった彼女の行動と優しさを先帝は知っていて、天女のような安氏を描いたのではないでしょうか。
そして、絵の中の安氏と対話していたのではないかと思いました。
先帝の心の病
安氏は「自分のせいで先帝は心を壊して部屋に閉じこもっていた」と言いますが、先帝の心が病んでいたのは十代からだと思います。
先述したように「女性からの悪戯」「唯一の皇族男子」「女帝の存在」が原因ではないでしょうか。
「帝であるため子を作らねばならぬ」という想いから被害者が増えた。
と日向夏先生のブログで書かれています。
憶測ですが、先帝は「幼い娘に手を出しているとき」記憶はあったのでしょうか。
犯罪者の中で「罪を行っている間の記憶が無い人」っていますよね。
もしかして先帝もその類だったのでは?
安氏の前に「大宝」という少女が妊娠しましたが、先帝は「記憶にない」と言ったそうです。
女帝が「子どもの存在」を認めなかったため、圧力に屈してそう言ったのかはわかりません。
考察
女帝は「西方が嫌い」でした。
理由は本編で語られていませんが、彼女の生い立ちに関わるのかもしれません。
もしかしたら「大宝」は西方の血が流れていたのかもしれません。
診療所にいた「深緑」という女官は目の色が緑でした。
「大宝」も目の色が緑だったら、女帝は「皇族に西方の血が混ざる」と思い、子どもを追放したのかもしれません。
(孫娘の「翆玲」は背が高いですし、もしかしたら西方にルーツがあるのかも)
女帝が存命中に玉葉妃と出会っていたら大変なことになっていたかもしれませんね。
先帝が人生の終わりにしたこと
晩年の先帝は「絵を描く」ことに集中していました。
日向夏先生のブログでは「皇太后にされたことによって絵を描き続けるだけの廃人になった」と書かれていますが「安氏」「幼い娘たち」を描くことで自分の人生を振り返っていたのではないでしょうか。
猫猫たちが見た絵の下には他にも絵がありました。
先帝にとって「絵を描く」ことは「人生の振り返り」「今まで傷付けた女性たちへの贖罪」だったのかもしれません。
手遅れの愛
安氏は
「もう知ることはできない。知ろうとしないことを選んだ」
と言いましたが、壬氏から「絵の女性は安氏」だと言われて嬉しかったのではないでしょうか。
先帝から見た自分は「幼い娘たちから親しまれる優しい顔をした女性」だった。
そう思うと、そこに「愛」を感じますね。
まとめ
もしも、異母兄弟たちが生きていたら。
皇帝にならなければ。
ただの「皇族」として「安氏」と出会っていたら。
二人は、もう少し心を通わせることができたかもしれませんね。
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